2005年

ーーー2/1ーーー 自宅の千両箱

 
 日常生活で、「こんなものが有ったら便利なのに」という品物を思い浮かべることがある。それも、大それたものではなく、ほんの些細な品物である。意外にそういうものは市販品に無い。有っても作りが安っぽかったりして使う気にならない。

 木工家であるから、木で作れるものなら自分で作る。写真は、小銭を分類して保管する木箱。家では千両箱と呼ばれている。消費税のおかげで、釣り銭でもらう一円玉や五円玉がやたらと増える。財布に溢れたコインをごちゃまぜにして保管すると、使うときに不便である。そこで、この仕切りのある箱を考案した。小銭と言えども、量が集まるとけっこうな重さになる。厚めの板を使って、しっかりとした作りにした。使い始めて数年になるが、とても便利である。

 商品として販売するようなものではない。しかし、有れば便利で、しかも使い心地が気持ち良くて、なんとなく楽しくもなる。見映えは無いが実がある、家庭料理の味にも例えられるだろうか。



ーーー2/8ーーー 包丁の修理

 家内が使っている包丁の大半は、結婚当時に購入したものである。だから、もうそろそろ、四半世紀に渡って使い続けていることになる。そのうちの二本が最近、申し合わせたように破損した。

 刃は問題ないのだが、柄が外れてしまったのである。木でできている柄は水気を吸い込む。木部と鋼との境界に入り込んだ水分が鋼を腐食させる。それを繰り返すうちに、次第に柄と鋼が離れてしまうのである。そのようなことは予め予想していたし、そうならないように包丁の扱いには注意をしてきたわけだが、長い年月の間に腐食が進行してしまうのはやむをえない。

 家内は製造元を調べて、修理をしてもらえるかどうか問い合わせた。ある業者は、破損の程度によると言った。別の業者は、修理の可能性について連絡が取れなかった。

 永年使ってきた包丁であり、切れ味にも満足しているから、できれば修理して使い続けたいというのが家内の希望である。しかし、あまり修理に費用がかかるようなら、買い替えた方が得策であるかも知れぬとの言葉も漏らした。現代では家電製品にしろ何にしろ、修理するくらいなら買い替えた方が経済的というのがむしろ一般的である。

 私は修理に出すことを勧めた。修理代が新品の購入と同じ程度の金額になるとしても、修理する方が良いと思うと述べた。

 以前ある本で、神輿(みこし)を作る職人の話を読んだ。その職人は、神輿の屋根を支える木組みの細かい部品の数々を、小刀を使って削り出す。何十年も使われてきた小刀は、研ぎを繰り返してきたために、原形をとどめないほど痩せ細っていた。インタビュアーが「そんなになるまで使うんですか」と聞くと、職人は「この小刀は今が一番切れる。人間なら40〜50歳。働き盛りってとこかな」と応えた。

 刃物というものは、必ずしも新品の状態が一番良いとは限らない。ある程度使い込んだ方が切れ味が良くなることもある。

 もし業者が修理を拒んだら、私が直すつもりである。買った当初の姿にはできなくても、実用上は問題ないくらいには直せるはずである。木工用の小刀などは、刃だけ買ってきて、柄は自分で作って入れるのが木工家として当たり前のことである。包丁の柄を付けることだって可能だろう。

 

ーーー2/15ーーー 白鳥の田んぼ

 自宅から車で10分ほど東に下り、高瀬川の近くまで行ったところに、白鳥が飛来する田んぼがある。持ち主が白鳥を意識したのか否かは分からないが、この田んぼは冬でも水を張っているので、数年前から白鳥が住み着くようになった。今では人気スポットと呼んでも良いだろう。休日になると、カメラを携えた人たちが田んぼのわきに人壁を作る。

 私は鳥類には特に興味は無いが、この写真のような光景を眺めるのは楽しいものである。白鳥も沢山の数がいると、性格の違いのようなものが見えておもしろい。やたらと他人(他鳥)に突っかかってもめごとを起こす奴もいる。何故だか知らないが、周囲からいじめられてばかりの、気の毒な鳥もいる。

 見上げると、何羽かが田んぼの上を旋回して飛んでいた。これくらいの大きさの鳥が飛ぶのを間近に見る機会は、めったにない。とてもダイナミックである。その格好の良さに見とれると共に、よくもまああんなふうに自由に飛べるものだと、あらためて驚きもした。



ーーー2/22ーーー 純米酒の「武勇」

 
茨城県結城市にある日本酒の蔵元「武勇」。江戸時代から一貫して、純米酒を主体に真面目な酒作りをしてきた酒蔵である。私は年に数回程度だが、お酒を取り寄せては楽しんでいる。もう十年のおつき合いになろうか。取り寄せると送料がかかるが、これは仕方ない。製造量が少ないので、いわゆる酒屋にはほとんど置かれていないのである。東京でも「武勇」を置いている店は一件だけという。長野県には無い。

 先日、「にごり酒」と普通の純米酒を注文した。「にごり酒」は冬期限定品である。殺菌処理を一切していないので、迂闊に扱うと品質が変わる。そんなことから、ストックは置かず、注文があると一週間ぶんをまとめて瓶詰めし、翌週発送するということであった。

 その「にごり酒」をある席で披露した。とても評判が良かった。素朴で自然な味わいに、評価が集中した。平安時代や鎌倉時代のお酒は、こんな味がしたのではないか。どういうわけか、そんな空想が私の頭に浮かんだ。日本酒のルーツを感じさせるようなお酒であった。

 普通の純米酒の方は、自宅でグビグビやっている。今回取り寄せたものは、とても軽い感じがした。純米酒というものは、純粋であるが故か、とかく重い感じの物が多い。若いうちはそんなことは気にならないが、歳をとると重い酒は少々体が受け付けにくくなる。そんなわけで、今回の酒は嬉しかった。

 どうして今回の酒が軽めなのか、問い合わせてみた。蔵元からの返事によると、製法はいつもの通りだとのことであった。しかし、その年の天候や田んぼの管理などにより米の性質が異なり、それが微妙に味の違いとして出ることがあると。今回のロットは米が少し硬めで、酒粕の歩合が多かったので、軽い感じになったのだとの説明であった。出荷する酒の味を均一にするために、ブレンドするという手もあるのだが、「武勇」はできたままを瓶に詰めることにこだわっているとのこと。

 なるほどと私は思った。自然の素材を使い、微生物の働きで糖化、醗酵を行なう酒作りは、その年ごとの様々な条件によって出来上がりが違って来るのは当然のことなのだ。ワインだって、その年のブドウの出来具合で品質が変わり、値段が大きく変動する。「いつも同じ」ではないところに難しさがあり、またおもしろさがあるとも言える。酒を飲みながら、その酒の元となった米を想い、田んぼを想像し、その夏の天気を思い出す。そのようなことも含めて楽しめれば、酒飲み冥利に尽きるだろう。

 ところで、「武勇」はお酒も美味しいのだが、酒粕も旨い。お酒を取り寄せるときに、酒粕もお願いすると、一緒に送ってくれる。純米酒の酒粕は、そこら辺で売っている酒粕とは別ものである。実に豊かな味わいである。粕汁や甘酒などにして、家族中で楽しめる。その「武勇」の酒粕を、ある奥さんに分けて差し上げたら、後日「お酒より酒粕の方が美味しいくらいですね」との返事があった。もちろん冗談であるが、そんな言葉が出るくらい、美味しい酒粕なのである。




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